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情報をデザインするということ 1 [情報デザイン論]

日常の中のコミュニケーション表現

情報とは誰かが表現したものだ

私たちは日常、様々な情報と接している。それは視点を変えると、誰かが表現によってメッセージやデータを情報化しているということだ。誰かが表現した情報、つまり情報は表現によって生まれる。これが情報社会で生きていくための重要な出発点だ。
 ここでの論点は「だから情報は危険だ、信じるな」ということではなく、誰もが情報を「ちゃんと」表現できる社会を作ろう、ということである。


プロダクトも情報も誰かによって表現されたものだ
 プロダクト製品は、その機能や活用・利用の目的にもとづいてかたちづくられる(表現される)。同じ目的や機能でも、表現の質は様々だ。例えば高級スポーツカーと低価格大衆車が同じ道路を走っている。
 情報も表現である以上、プロダクト製品と同じように、いろいろな意味での「美しいかたち」を追求していくことが可能なはずだ。つまり、情報もデザインすることができる。

情報のどこをどうデザインするのか

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メッセージを誰かに届ける、という流れを上図のように描いてみると、メッセージをかたちにする段階と、できあがったメッセージ表現を相手が受け止め理解する段階に、デザインの必要性があるのがわかるだろう。
 従来のコミュニケーションでは、メッセージをかたちにするデザインはメッセージの作者にゆだねられていた。また、表現の伝達はメディアゆだねがられ、メディアの型にあてはめることがデザインだった。そして解釈・理解は受け手の努力にゆだねられていた。
 情報デザインという視点が意味を持つとすれば、これまでこのように役割分担的にバラバラにデザインされていたコミュニケーションの流れを、一貫性を持ってデザインできる、ということだ。ひとつのメッセージは様々な方法で表現できる。それを受け手に届けるだけでなく、魅力を感じてもらい、受け取ってもらわなければならない。そして読み取るための手がかりの提示や読み取るという体験の魅力化によって、受け手の理解を支援する。結果として受け手が、手に入れたメッセージを活用したり、他の人にも広めるために自らも表現したくなる(表現する)。このような循環を生み出し、コミュニケーション全体のしくみを魅力的で豊かなものにすることが、情報デザインの目的であるといいたい。
 では具体的に情報デザインで何を対象にするか。
 まずは、データやメッセージを情報として形にしていくデザインのプロセス。
 データやメッセージというのは、例えばイベントや事件などの出来事、さらにそこから手続き(フィルタ)を通して集められたさまざまなデータなど、表現になってない状態のさまざまな情報要素を指す。また、既に知識化されていることがらでもそれをなんらかのかたちで表現しないと誰かには伝わらない。このような埋もれている知識というのも表現の対象に挙げられる。さらに、私たちが活動する中で得られる様々な経験や体験の中に埋め込まれた「気付き」や「知恵」も、表現によって誰かに伝わり、理解されるものだ。
 そして、形にされた情報を誰かに届けるフェーズでは、表現されたものとそれを読み解く人との間のやりとり(インタラクション)の方法、その結果手に入れた情報や知識の利活用の方法をどう提供するかが課題だ。
 人の活動全体にわたってその情報のデザインというのが意味を持ってくるとも言える。

 誰もが日常の様々な場面で「情報をデザインする」という意識を持ち、コミュニケーションつまり相手を理解しながら自分の気持ちやメッセージも伝えていくという活動を、日常的に行えるようになったらいいなぁと思う。
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