その表現に愛はあるか? 1 [日常の中の表現]
表現される側の視点としての障害者マーク
このゴールデンウィークは、雨の高速道路を車で移動していた。パーキングエリアで気になった光景は、どう見ても健常者と思われる人が堂々と障害者専用の駐車スペースに車を止めていたことだ。しかもその近くの一般車用駐車ゾーンでは、雨にぬれながら車椅子をトランクにしまっている人の姿があった。
私自身は今のところ車椅子を使わなくても生活できているが、これまでに1日だけ車椅子のお世話になったことがある。いったん健常者の目線を離れて周囲を見渡してみると、日常のあらゆるものが「健常者らしき人」だけを想定して作られているのに驚く。「できて当たり前じゃん」的な目線は、できない人にはとても辛く悲しい。
上記の高速道路の問題などは、「モラル」の問題以前に、車いすの利用(に限らず障害を持った人の活動)がいかに不便かを全く知らない人にとっては、気にも止めない事柄なのかもしれない。
このような意識を前提に障害者マークをみると、健常者の思い上がりを感じずにいられない。歴史があるマークとはいえ、今の時代には全く合っていないと感じる。このマークに人は乗っているのか。もしこの線の部分が人のシルエットだと言うならあんまりだ。このデザインは車いすの絵で、車いすを利用している人の絵ではない。
最近は写真のように、他のサイン(ピクトグラム)と組み合わせて表記される場合が多い。並んでいる他のピクトグラムの人物表現と、障害者マークを比べてみてほしい。平等に人を扱っているように見えるだろうか。
交通標識の機能は乱暴に分けると「限定」「優先」「可」「禁止」に分けられる。ほとんどの場合これらは絵柄よりも色で分けられている(禁止だけは「×」や「/」の記号で明示)。障害者マークのメッセージは「車いすの 利用者に 限定/優先」と読めなければならないはず。しかるに実際のマークは「車いす(背景がブルーの場合は「OK」)」としか語っていない。もっとメッセージを感じ取れる表現にできないものか。例えば・・・
(左)せめて人の姿に(中)助けが必要なんです(右)お先にどうぞ、ありがとう
せめてこれくらいの愛情を持ったマークに変えてもらえないものか。
デザイナー川崎和男さんの著書『デザインの極道論』の中に、ご自身の車いす生活をふまえてこの障害者マーク改訂のために戦ったことが書かれている。川崎さんの提案を受けなかった(途中でひっくり返した?)運営側の感性が理解できない。
※もちろんいろいろな事情があるだろうことは想像できるが、ここでは表現に限って批判させていただきます。
公共性が課題になると、すぐに標準化して管理、という方向になってしまい「なぜそうなったのか」という本質の部分が消失してしまいがちだ。これだけ情報化が進み、人々の表現に対するリテラシィも高まっているのだから、ガチガチのルールを作らず柔軟な表現を用いてもそのメッセージを読み取ることはできるはずだ。ピクトグラムの世界にももう少し競争の原理が働き表現を競った方がクオリティも上がってよいと感じる。
財団法人日本障害者リハビリテーション協会/国際シンボルマーク
http://www.jsrpd.jp/static/symbol/index.html
標準案内用図記号:交通エコロジー・モビリティ財団
http://www.ecomo.or.jp/barrierfree/pictogram/picto_top.html
このゴールデンウィークは、雨の高速道路を車で移動していた。パーキングエリアで気になった光景は、どう見ても健常者と思われる人が堂々と障害者専用の駐車スペースに車を止めていたことだ。しかもその近くの一般車用駐車ゾーンでは、雨にぬれながら車椅子をトランクにしまっている人の姿があった。
私自身は今のところ車椅子を使わなくても生活できているが、これまでに1日だけ車椅子のお世話になったことがある。いったん健常者の目線を離れて周囲を見渡してみると、日常のあらゆるものが「健常者らしき人」だけを想定して作られているのに驚く。「できて当たり前じゃん」的な目線は、できない人にはとても辛く悲しい。
上記の高速道路の問題などは、「モラル」の問題以前に、車いすの利用(に限らず障害を持った人の活動)がいかに不便かを全く知らない人にとっては、気にも止めない事柄なのかもしれない。
このような意識を前提に障害者マークをみると、健常者の思い上がりを感じずにいられない。歴史があるマークとはいえ、今の時代には全く合っていないと感じる。このマークに人は乗っているのか。もしこの線の部分が人のシルエットだと言うならあんまりだ。このデザインは車いすの絵で、車いすを利用している人の絵ではない。
最近は写真のように、他のサイン(ピクトグラム)と組み合わせて表記される場合が多い。並んでいる他のピクトグラムの人物表現と、障害者マークを比べてみてほしい。平等に人を扱っているように見えるだろうか。
交通標識の機能は乱暴に分けると「限定」「優先」「可」「禁止」に分けられる。ほとんどの場合これらは絵柄よりも色で分けられている(禁止だけは「×」や「/」の記号で明示)。障害者マークのメッセージは「車いすの 利用者に 限定/優先」と読めなければならないはず。しかるに実際のマークは「車いす(背景がブルーの場合は「OK」)」としか語っていない。もっとメッセージを感じ取れる表現にできないものか。例えば・・・
(左)せめて人の姿に(中)助けが必要なんです(右)お先にどうぞ、ありがとう
せめてこれくらいの愛情を持ったマークに変えてもらえないものか。
デザイナー川崎和男さんの著書『デザインの極道論』の中に、ご自身の車いす生活をふまえてこの障害者マーク改訂のために戦ったことが書かれている。川崎さんの提案を受けなかった(途中でひっくり返した?)運営側の感性が理解できない。
※もちろんいろいろな事情があるだろうことは想像できるが、ここでは表現に限って批判させていただきます。
公共性が課題になると、すぐに標準化して管理、という方向になってしまい「なぜそうなったのか」という本質の部分が消失してしまいがちだ。これだけ情報化が進み、人々の表現に対するリテラシィも高まっているのだから、ガチガチのルールを作らず柔軟な表現を用いてもそのメッセージを読み取ることはできるはずだ。ピクトグラムの世界にももう少し競争の原理が働き表現を競った方がクオリティも上がってよいと感じる。
財団法人日本障害者リハビリテーション協会/国際シンボルマーク
http://www.jsrpd.jp/static/symbol/index.html
標準案内用図記号:交通エコロジー・モビリティ財団
http://www.ecomo.or.jp/barrierfree/pictogram/picto_top.html
デザインの極道論―「感性の言葉」としての形容詞 (MAC POWER BOOKS)
- 作者: 川崎 和男
- 出版社/メーカー: アスキー
- 発売日: 2004/09
- メディア: 単行本